猫を飼っている。
前の猫を見送ってから、正直、もういいと思っていた。
17年生きて、肺に水が溜まってしまった。後はもう窒息死するだけだと言われて病院で安楽死を選んだ。それは、本当に正しかったのか。苦しいから死んでしまいたいなんて動物は絶対思わない。家に帰りたかっただろう。今でも心がきゅっとすることがある。
私たち夫婦は、二人とも無類の猫好きである。前の猫のことは忘れられない。だから積極的には飼わない。だけど、「いつか、雨の中で、ずぶ濡れになってか細い声でニイニイ鳴いている可哀そうな子猫」が道路に落ちていたらそれは運命だよね、と話し合っていた。
そしたら、「6月のよく晴れた日に、猫とは思えない程大きな声で鳴いているちょっと育った感じの子猫」が現れた。それは前の猫が虹の橋を渡ってから、10年後のことだった。
前の猫は三毛の雌猫で、「猫らしい猫」だった。気に入らないフードを出そうものなら頑として食べない。やっと気に入ってくれたと思って次の日に同じものを出すと「もう気分じゃないわ」とそっぽを向く。抱っこが好きで膝に乗って甘えるのに、突然「いつまで触ってるのよ!」とキレる。ツンデレの極みである。
逆三角形の小顔美人で、怒ると化け猫みたいに怖い顔をした。そんなお猫様のご機嫌を損ねないためには飼い主然とはしていられない。日々お仕えする気持ちでお世話をさせていただかねばならない。そうやって我々の下僕体質が順調に育まれていった。
さて、今うちにいるのは白黒の雄猫である。捨てられて一週間、何も食べられなかった経験をしたせいか、何でもモリモリ食べる。多少便秘気味のため処方フードを与えているが、いつでもご機嫌に食べてくれる。6年間同じご飯を食べている。有難くて泣きそうである。
人好きの甘えん坊で、エニタイムエブリバディウェルカム。まるで犬である。触られるのが嬉しくていつまでもくっついている。なのに、膝には乗らない。抱っこも苦手だ。
先代猫の下で17年間培った下僕スキルが発揮できるシーンはほぼなく、それはそれで当初は戸惑ったものである。これはきっと、10年間めそめそ暮らしてきた下僕を憐れんで、先代猫が「もういいわよ」と言って寄越してきたに違いない。
そう有難く思いながら白黒猫と暮らしている、下僕の今日この頃であります。