写真のこと

20.11.12

つい撮ってしまうもの【女性による女性のための写真教室 WEB版】

早苗 久美子

早苗 久美子

皆さんには、つい撮ってしまうものってありますか?

私は、花や植物です。写真を始めた頃からよく撮っていましたし、今でも見かけるとつい撮ってしまうもののひとつです。

でも、花を撮ることを意識して避けようとした時期がありました。それは、写真を始めてしばらく経った頃のことです。

こんなもの撮ってどうするんだろう…

早苗久美子・編集長コラム_つい撮ってしまうもの

写真を続けていると、こんなもの撮ってどうするんだろう、という思いに囚われてスランプ状態になってしまう人がいます。私が花や植物を避けようとしたのも、それが原因でした。

初心者のうちは、上手に撮れるようになりたくて、ただただ一生懸命です。美しい花や風景を目にした時の感動が伝わる写真が撮りたい。その一心で、カメラの機能を勉強したり、光のことを学んだり。それなのに、カメラの操作にも写真を撮ることにも慣れて、だんだんイメージ通りの写真が撮れるようになってくると、今度は「美しいものを撮ったからって一体何だというんだろう…」なんて悩んでしまう。

風景や花の写真なんて素敵に撮る人はいっぱいいるし、SNS上にだって飽きるほどアップされている。今さら、自分が撮るそんな写真に何か意味があるんだろうか…と。

早苗久美子・編集長コラム_つい撮ってしまうもの

私がこの病(?)に罹ったのは、写真をただ撮るだけでなく、自分のなりの「写真表現」をしたいと思うようになった頃のことでした。

意味なんてなくてもいい

今思うと、「写真表現をしたい」という気負いがあったのだと思います。花や植物は、何となく写真表現っぽくないと感じて、「写真表現っぽいもの」を撮ろうとしていたように思います。(いやはや、お恥ずかしい。。。)

でも、ある時、写真を見た友人が言ってくれたのです。

「自分が同じ光景を実際に見ていたとしても、こんな風に美しくは見えてないんだろうな。この花を気に留めることもなかったかもしれない」と。

早苗久美子・編集長コラム_つい撮ってしまうもの

それを聞いて私は、心の底から写真を撮って良かったと思うことができました。そして、写真を撮ることで「私には世界がこんな風に見えている」ということを誰かに伝えられるんだ、ということに気づきました。

この「私にはこんな風に見えている」は、その後、私自身の表現の核になっていきました。写真は自分の眼差しの先にあるものなんだ、ということがわかってから、私は花や植物も気兼ねなく撮るようになりました。自分がそこにある美しさに気づいた、ということを残しておきたいと思うようになったのです。

早苗久美子・編集長コラム_つい撮ってしまうもの

意味なんてなくていい。作品にならなくても良いのです。綺麗だな、可愛いなと感じた心を否定せず、小さな感動に自分自身が気づいているということを大切にしたい。

つい撮ってしまうものも、結果として大量に溜まっていく写真たちも愛してあげたいと思っています。

自分の眼差しを愛でる。それも写真の楽しみの一つなのかもしれません。

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この記事を書いた人

編集長/写真家

早苗 久美子 Sanae Kumiko

写真家、NADAR店長、写真生活手帖編集長。 南青山の写真専門ギャラリー「NADAR(ナダール)」にてギャラリー運営の実務全般を担当するほか、写真教室やワークショップの講師としても活動。写真家としても継続的に作品を制作・発表しているほか、「写真と言葉」をテーマにした活動の一貫として、自身が撮影した写真でポストカード制作し定期的にお手紙をお送りする「お便りプロジェクト」にも取り組んでいる。

WEBサイト:草原の夢

WEBサイト:東京・南青山/写真ギャラリー&写真教室のナダール

instagram:@kumiko.sanae_nadar