外へ出たら必ずと言って良いほど見かけるもの。マスクとともに急速に身近な存在になったもの。私の場合は、買い出しでスーパーへ入るとき出るときにお世話になることが多いです。手をかざすだけでスプレーされるものに出合ったときは、その進化に驚きました。
新型コロナの感染拡大が取り沙汰されるなか、需要が急速に拡大していった消毒液ポンプ。現在では「見ない日はない」と言っても過言でないほどの存在となっています。私がここで取り上げずとも、様々な媒体で見聞きされている方は多いと思います。
私がこのポンプを初めて撮影したのは昨年の夏でした。
建物から外へ出たものの、光に包まれるポンプの様子が気にかかり写真を撮りました。撮影した理由はその光景を「きれい」と思ったからです。ただ「きれいやな」と。もちろん当時はコロナの「コ」の字を聞くこともありませんから、「きれい」のほかに特別な想いは何もありませんでした。
この一枚が気に入り、中判フィルムの写真展でも展示してみました。反応はまちまち。面白がってくれる方もいれば、「わざわざ撮る?」と首をかしげる方もいました。その後、年を越し春を迎えようとする頃、新しいウイルスの脅威を目の当たりにするなか消毒液の需要は次第に高まっていきました。
この記事にある写真は全てコロナ禍以前に撮影しています。当時の私はポンプのある風景を特別な想いで眺めていたわけではありません。未だはっきり覚えているのは「光につつまれて綺麗だった」ということだけです。
これらの写真を、撮影した当時に見るのとコロナ禍の状況下で見るのとでは印象が全く異なると思います。例えば、いま、何の情報もなくこれら三枚の写真を見せられたらどのような感情を抱かれるでしょうか。「撮りたくなる気持ち、わかります」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
状況や環境の変化によって、「ありふれている」とされる光景も捉えられ方が変わることがあります。何年も経って振りかえったときに、何でもない景色が特別な存在になっているかもしれません。「これを撮っている人がいたんだ!」という反応もあるでしょう。
どんな時もどんな景色も、それを見て気になったら一枚でも撮っておく。気になる理由が曖昧でも、言葉で説明しがたくても、そんなことは気にしない。このポンプの写真、私は今でも好きでよく見返しています。一枚のなかに「こんなところが好き」が沢山あります。見返しながら「迷ったけど撮って良かった」と思います。
何となく撮ったものが意外と「これがわたしの写真です」と差し出せる初めの一歩になることがあります。見えるかたちに残しておきたい。そう感じたら、それがスタート。
フィルム現像&データ作成(画像 二・三枚目)
フォトカノン戸越銀座店 https://photokanon.com/