写真のこと

21.02.27

【ちょっとおしゃべり/小林美香 × 早苗久美子】 写真を見せること、表現すること。vol.1

写真生活手帖編集部

写真生活手帖編集部

小林美香×早苗久美子・ちょっとおしゃべり・写真をみせること、表現すること

ナダールでパーソナル・コンサルティイングをしている写真研究者の小林美香さんと、ギャラリー・ナダール店長で写真生活手帖編集長の早苗が、人に写真を見てもらうことから始められること、深められることって何だろう、ということについて話しました。

パーソナル・コンサルティングとは:
写真ギャラリー・ナダールが、写真による制作活動に取り組み、作品発表を志している人向けに開催しているマンツーマンのコンサルティング。数々のポートフォリオレビューでレビュワーを務め、トークショーやワークショップなどの経験も豊富な写真研究者・小林美香さんが、作品の制作や編集、発表方法などをアドバイスをしています。

パーソナル・コンサルティングって?

早苗 小林さんには、いろいろな方の写真を見て、コンサルティングをしてもらっていますが、どんな方がコンサルティングを受けておられますか?どういった話をしていますか?

小林 コンサルティングを受けられてきた方は、コンペに展覧会、卒業制作のような自分の撮っている写真を作品としてまとめるという具体的な目的、ゴールに向けて心構えを固められていたり、モティベーションが高い方が多いですね。

 毎回2時間近く写真を見ながら話を伺うので、個々の写真についてお話を伺うだけではなく、写真という表現手段を選んだ原点に遡って掘り下げてお話をしてくださる方も多いですね。

早苗  そもそもなぜ写真を撮っているのか、ということに立ち返って一人で考えることはあまりないですよね。自分が写真を撮っている理由について深く掘り下げて話をする機会は少ないと思います。話をする機会がないということは、実は、考える機会がないということでもあるんですよね。

 普段ギャラリーで仕事をしていて、展覧会の始めに作家さんに「これはどういう作品ですか?」と訊いても、戸惑われる方が多いです。例えば、私が運営に携わっている写真ギャラリーのナダールでは「めざせ個展」という公募展があって、お客様の投票によって選ばれた方が個展を開催できるという企画です。その展示に挑戦する方は、当然「個展をしたい」という思いを持っている方ばかりなのですが、グランプリを獲得するような方でも、最初の段階では“作品を展示して人に見せて伝える”ってどういうことなのか、自分の考えていることや意志を表明することについては無自覚な方が多いんです。

 それでも、展示が始まると在廊中に色々なお客さんから作品について質問をされることも多いので、なんとか答えようと喋っていくうちに「作家らしくなっていく」感じがします。言葉にすることで初めて自分が何を考えているか自覚するようになるんです。そういう自覚を持つことは、表現をしたり展示をする上で重要な一歩だと思いますね。

小林 今はインターネット、SNSで撮った写真を公開して人に見せることへの敷居は下がっていますけれど、それに伴って「自分が写真を見せていることの自覚はあるのか」と問われることはなくて、見る側は写真を流して見るだけになってしまう、ということもありますね。

 展覧会という形でわざわざ写真を選んでプリントをして、限られた期間だけ写真を見せるということを選んでるわけですから、相当の動機づけが必要になりますよね。またその動機があってこそ、展示をして人に見せて、出会いの機会を得ることに可能性を感じているわけですよね。

ギャラリーで展示する意味とは

小林 コロナ禍のご時世ですから、展覧会を通して人と出会うことにどれだけ価値をおいているのか、ということも改めて考えることになりますよね。ギャラリーで変化したことはありますか?

早苗 ギャラリーを運営している身としては、これから場の重要性が更に増すのではないかと思っています。コロナの時代になって、展覧会がオンラインで開催されたり、「無観客展示」みたいにギャラリーで作品は展示するけれども、お客さんを入れずにその空間の映像を配信するという方法も出てきましたね。そういう取り組みは新しい可能性を広げるものだと思うのですが、そこで得られる体験と、実際の空間で作品を見るという体験は同じものにはならない、ということを再確認したような気がします。

 オンラインで写真や動画を見せる・見るという行為は、どちらかと言うと見る側に主導権があるように思います。興味が持てない写真は見ないで流してしまうし、その時見たいものだけを見ている。動画だって時には倍速再生したりして、すっ飛ばして見てしまう。

 でも、展覧会という形で空間を作って写真を見せる場合は、主導権が見せる側にあるわけですよね。展示では、作品の間隔を空けたり、写真のサイズを変えたりすることで、見る人の足の進め方やリズムまで想像して空間を構成します。自然に、見る人が見せる人のテリトリーに入っている感じになります。そういう体験は展示ならではだと思います。

 「自分が見たいものだけを、自分のテリトリーの中で見る」というのは、表現を受け取る間口を狭めてしまうのではないか、自分に分かっていることしか見られなくなってしまうのではないかな、と思うのです。「見せる側の領域に入って見る」ことができるのは、やはり場があってこそだと思います。

小林 オンラインだと写真のサイズも一様になってしまいますね。写真のサイズや額装の仕方で写真の見え方も変わってくるということもその違いを経験していなければわからないことですね。

 ナダールではさまざまな個展やグループ展を開催されていますが、展示される方は何かしら空間のしつらえに工夫を凝らされたり、遊び心を込められたりしていますよね。たとえば鉄道写真の展覧会だと、小さな電車の模型を置かれたりとか。そういう工夫や遊び心が発揮できるかどうかで、見せる側も見る側も作品に接する心構えが大きく変わってきますよね。見せてくれている、見てくれているというお互いの関係、心のやりとりが生まれてくるというか。

早苗 ナダールでの展示では、見に来てくださった方が作家さんに宛てて感想などのコメントを書いて残せるメッセージ用紙があるのですが、コメントの内容がどういうものであれ、作品を見て感じたことを反応として書いてくれるということ自体、尊いことですよね。そういう体験の中にこそ、反応を貰うことやそれを確かめることの原点があるように思います。それは、コミュニケーションという言葉に集約されるのかもしれないですけど、人と人とが社会的に関わり合って生きていくことの根源的な何かですよね。

小林 そういう関わり合いって、SNSでいいね!を押すとか数値化される反応の仕方とは別の体験だし、貴重ですよね。オンラインでできることの可能性もありますけれど、実際の場に足を運んだり、作品を見たり、反応したりする経験を大切にしていきたいですね。

早苗 コロナ禍の中で、ギャラリーに来られるお客さんを見ていて感じる変化なのですが、メッセージを残していかれる方が増えた気がします。「作品を見に来たよ」ということを伝えて残しておきたいという気持ちは強くなっているんだと思います。

 わざわざ展示を見に来たことも、見に来てくれたことも、双方に敬意がある。メッセージを書く人にとっても、作家にとっても、そういうやりとりをすることの喜びや意味が深くなっているんでしょうね。出展者の方も、展示が終わった後に受け取るこのメッセージ用紙をとても喜ばれます。そうして人と人を繋ぐ場になれることは、ギャラリー側にとっても嬉しいことです。


この後もおしゃべりは続きます。次回は、写真と言葉のことについて。どうぞお楽しみに。(次回:3/1 公開予定)

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この記事を書いた人

写真生活手帖編集部

いまの暮らしに、+写真「写真生活手帖」の編集部です。 暮らしをちょっと楽しくする写真生活の提案をしていきます。